日本初之宮 和歌発祥の地
ヤマタノオロチを退治した素盞鳴尊(すさのおのみこと)が「吾が御心清々し」と言ってこの地を「須賀」と命名し、日本初の宮殿「須賀宮」を造って鎮まったのが由来とされる「日本初之宮 須我神社」を訪れた。
駐車場から立派な石垣を横目に進むと社号標と鳥居が見えた。
鳥居の奥には「日本初之宮 和歌発祥之遺跡」と記された碑があり、ここが特別な場所であることを感じさせる。
手水舎で清め、太めの注連縄が架かる門を潜って境内へと進むと、八重垣神社の狛犬と同様に悠久の歴史を感じさせる狛犬や最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作るその八重垣を」の碑があった。
このあまりにも有名な和歌がこの地で謳われたのかと思うと感慨深い。
その奥に佇む拝殿で参拝した後、境内社を参拝して回る。
境内でプチ登山
境内社を参拝して回ると、更に奥にも社があるらしい。
妻子はトイレに行くというので、その間に一人でさっと行ってみることにした。
上り坂で道も悪そうだが同じ境内だし、そんなに遠くは無いだろうと思ったのだが、これが大間違いだった。
登れども登れども終わりが見えない。
途中で引き返そうかとも思ったが、あと少しかもしれないという期待と、ここまで登っておいて引き返すのかという徒労感とで、ぜーぜー言いながらも登り続ける。
ようやく頂上に辿り着き、最奥にあった境内社「義綱神社」を参拝。
これだけ頑張ったけど小さな社があっただけという徒労感を感じながらも、来た道を引き返す。
私がしばらく戻ってこないので気になって登り始めていた妻子と合流。
拝殿まで戻り、御朱印を頂く。
書き置きで印刷の文字だったので少しがっかりしたが、二重亀甲と八雲の中に須賀宮と出雲の文字が配された朱印がかっこいい。
ちなみに、この須我神社の御朱印をもって、1冊目の神社用朱印帳が埋まった。
伊勢神宮から始まり、日本初之宮で終わる、満足のいく1冊となった。
さて帰ろうかと車に戻ったところで、「奥宮 この先2km」という看板を見つけた。
車で行けそうだったので、折角なので行ってみることにした。
さらに登山になってしまった奥宮「八雲山」
細い道を2km程車で進むと、奥宮入口を発見。
車が1台やっと停まれる路肩に駐車して看板を見ると、どうやらここから400mのところに奥宮があるらしい。
入口の上り坂を見て、妻子は車で待っていると宣う。
先程の坂は先が見えず大変だったが、今回は高々400m。
すぐ行って帰ってこれるだろうと軽く考えて1人で山道を登り始めたのだが、これがまたまた間違いだった。
ただの400mではなく登山の400mはそれどころではなかった。
先程のプチ登山の疲労も相まって、ぜぇぜぇはぁはぁ言いながら山道を登っていく。
この山道は「文学碑の経」と呼ばれるようで、至る所に和歌が刻まれた岩が設置されていた。
1つ1つ詠んで楽しみながら進むのが通常なのだろうが、疲労困憊な上に気づくともう日が傾いており、うかうかしていると日が暮れてしまう。
こんな山の中で夜になったらたまったものではない。
というわけでそれらを一切無視し、不老長寿の水と言われる「神泉坂根水」すらも横目にひたすら先に進む。
するとその先にようやく大岩が姿を現した。
それが須我神社の奥宮の磐座であることがすぐにわかった。
確かにこんなにも存在感のある大岩が山の中で目の前に突然現れれば、昔の人々がそこに神性を感じ、崇め奉るのも無理もないと感じた。
その存在感に圧倒されつつも古代の人々がそうしたように参拝した。
古代から脈々と続く信仰の一端に触れることが出来たと思う。
息を整えた後急いで来た道を引き返し、フラフラになりながらもなんとか日暮れ前に車に辿り着くことが出来た。
出雲旅行1日目の予定はこれで終わり。
今回の宿である精進湖の湖畔にある「なにわ一水」へと向かう。
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