これまで
1 妹の御朱印帳を見る。
2 御朱印を知って興味を持つ。やってみよう。
3 神社の御朱印は伊勢神宮から始めるべきでしょう。
4 伊勢神宮で御朱印と一緒にお守り感覚で御神札を受ける。
5 御神札は神棚に祀るものらしい。神棚を設置しないと。
という感じで、興味本位と形から入る性分のせいか御朱印から神棚設置まで話が進んでしまった。
ここでふと、そもそも自分は神棚を設けるほど神道を信仰しているんだっけ? という疑問が浮かぶ。
初詣や七五三に神社にお参りし、祭典では山車を曳いて笛を吹き、実家に帰ると神棚と仏壇に手を合わせ神社とお寺に参りし、クリスマスを祝う。
無宗教なのか、神道なのか仏教なのかよくわからない状態である。
多くの日本人が同じような状況ではないだろうか。
受験や出産など事あるごとに神社にお参りし、お守りや御札を求め拝む。 拝まないまでもそれらを粗末に扱うことは気が引ける。
それは、やはりそこに神様やご利益が宿っていると無意識に信じているからだろうか。
あるいは長年の習慣としてそのような振る舞い・考え方が染み付いているからだろうか。
自分は「あなたは神を信じますか?」と問われればNoと答える無神論者だと漠然と思っていたが、全く信じていないのであればそのような行動や考え方はしないのではないか。
Wikipedia(神道)を手始めにいろいろ調べてみたが、このページの議論(特にコメント欄)が一番濃密だった。
その中でも多く見られた「神道は宗教というよりも日本の文化であり道徳であり習慣である」という考え方はなるほどと思った。
教典を持たず、アニミズムに根差した八百万の神々という考え方から実在した人物や他の宗教の神々をもその一柱として取り込んでしまうその寛容さは、宗教戦争をしている人たちには理解されないんだろうな。
最終的に宗教や信仰と堅苦しく考えず、日本の文化・習慣として神棚に手を合わせて心を落ち着け、自然や周囲へ感謝し、家族・友人の無事と繁栄を願い、自分を見つめなおす時間を設けてみるのも悪くないのではないかとの結論に達した。(文化・習慣として御神札を放っておくわけにもいかないので、ある程度結論ありきだったが)
さてどんな神棚にしようかと、いそいそと調査を始めた。