江戸総鎮守 神田明神へ
品川での仕事の締めくくりで金曜の夜遅くまで仕事があったので、金曜の夜は品川に泊まって、土曜日に東京観光してから帰ることにした。
ここはやはり御朱印巡りをしようと思い立ち、半日で巡れる寺社仏閣を調べたところうってつけのサイトを見つけた。
このサイトに従って有名神社を巡ってみようということで、浅草寺、浅草神社を参拝した後、神田明神へ向かった。
京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」と 共に「日本三大祭」の一つに数えられる「神田祭」で知られる神田明神だが、正式名称は「神田神社」だそうで、社号標や御朱印には「神田神社」と記されていた。
江戸時代には「神田明神」と呼ばれていたそうだが、明治時代に准勅祭社、府社に序せられた際に「神田神社」なったようだ。
そこで「明神」ってなんだろうと疑問になり調べてみると、平安時代には“特別に崇敬される神が明神もしくは大明神と呼ばれていた”そうだが、神仏習合により仏教的な神の称号として捉えられるようになったとのこと。
明治時代の神仏分離、廃仏毀釈に伴って神田明神から神田神社に改められたということだろう。
明神男坂から境内へ
上記サイトのガイドに従って末広町駅から神田神社へ向かうと、明神男坂が目の前に現れた。
坂を駆け上がるとすぐに境内で、朱色と屋根の緑のコントラストが美しい拝殿が姿を現す。
早速参拝した後、社務所で御朱印をお願いする。
番号札を受け取って待合所で御朱印を待っていたところ、外から雅楽が聞こえてきた。
何事かと音がする方を見やると、雅楽を奏でる神職に続いて、花嫁花婿と参列者が拝殿に向かって列を作って歩いているところだった。
やはり神式の結婚式もいいなぁと思いながら、祝福した。
御朱印には「江戸総鎮守 神田明神」の他に「元准勅祭十社之内」の文字。
“勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のこと”で現在は16社が列せられているが、明治に東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社として東京近郊の主だった12社を「准勅祭社」と定めたそうだ。
1975年にそのうち23区内にある10社を「東京十社」としたとのことで、神田神社はその東京十社の1つになるそうだ。
右下には神田神社のマスコットキャラクター「みこしー」が。
そして上部には神田神社の神紋「流れ三つ巴」、別名「なめくじ巴」が刻印されている。
“神田明神の神紋が「なめくじ巴」と言われたのは、一説に江戸時代の神田一帯に池や沼が多く湿地帯であったため、なめくじが多くいたため”だそうな。
なめくじと言われると確かにそう見えてくるから不思議なものだが、もう少しかっこ良い名前にならなかったものか。
古くも先進的な神社
社務所の前に「神田明神縁起物」ガチャを見つけた。
おまけ付きおみくじは他の神社でも時々見かけるが、ガチャというのは初めてだ。
折角なので1回廻してみたところ、出たのは中吉のくじとだいこく様だった。
あたりなのかはずれなのか、どちらも微妙なところだ。
絵馬所にはイラストが描かれたたくさんの絵馬が奉納されていた。
なんでもアニメ「ラブライブ!」に神田神社が度々出てきたり、昨年(2015年)の神田祭ではコラボも行われたりしてラブライブのファンが参拝しているようで、絵馬所はラブライブのイラストやコメントで溢れていた。
他にも調べてみると神田神社のLINEスタンプがあったり、Twitterがあったりと新たな文化や技術を取り入れているようだ。
伝統を守りつつも、新たな文化を取り込んで共存している、古くも先進的な神社だと感じた。
その他にも見所がたくさん
境内を一通りぐるっと回ると、「末廣稲荷神社」をはじめとした境内社がたくさんあったり、ガチャで出た「だいこく様」や「えびす様」の像があったり、神馬がいたり、「国学発祥の地」や「銭形平次」の碑があったりと、長い歴史を垣間見ることが出来る見所がたくさんあった。
まだ日本三大祭の1つである「神田祭」は見たことが無いので、次回は神田祭の折に訪れてみたい。
また、他の東京十社にも訪れてみたい。