結婚式参列のために東京へ
大学の同級生の結婚式に招待頂いたのだが、会場は東京、そして挙式は日曜日の午前ということで、同級生の計らいで前泊させてもらうことになった。
せっかくの機会なので土曜日にどこか観光しようと思い立ち、取ってもらった市ヶ谷のホテルの周辺にいいところは無いかと探してみると、ホテルのすぐ近くにあの「靖国神社」があるではないですか!
何かと話題になる靖国神社だが、今まで場所すら知らなかった。
この機会に参拝しようと思い立ったのだが、午前中に散髪したり移動に時間がかかったりでホテルに着いた時点で既に15時半を回ってしまっていた。
出来れば遊就館も訪れたいのだが、入館は16時までとのことなので急いで靖国神社へ向かう。
地図だと市ヶ谷駅から靖国通りを東に500mほどだったのでてくてくと歩いて行くとそれらしい塀が見えてきた。
塀は見えるのだが、南門は閉まっており他に入り口が見当たらない。
入り口はどこだろうとさらにてくてくと東に歩いて行くと、東西に長い敷地の東の端に一の鳥居があり、想定よりも倍の距離を歩くことになってしまった。
敷地が広い場合、入り口がどこにあるかまで考えておかないとどっと疲れることを身をもって学んだ。
「靖国神社」境内は出店と参拝者でごった返していた
社号標が出店で隠れるほど出店と参拝者がひしめき合う境内。
少し早い花見だろうか。 外国人観光客の姿も目立つ。
重低音の音楽が響き、神社の境内とは思えない賑やかさだった。
これから桜が満開になるにつれて、喧騒も増していくのだろう。
今まで見てきた鳥居の中でも1番大きいのではないかと思われる大鳥居をくぐって境内を進む。
ふと、これが日本で一番大きい鳥居なのだろうかと疑問に思い調べてみると、靖国神社の鳥居は日本で6位の大きさというサイトを見つけた。
いつかは1位の「熊野本宮大社」の鳥居を見てみたい。
大きな菊花紋が付いた神門を潜ったところで早咲きの桜が咲いており、多くの参拝者が写真を撮っていたので自分もそれに倣う。
春の到来を感じながら、拝殿に向かった。
感謝、哀悼と平和への祈り
拝殿で日本とそこに住む人たちを守るために戦って亡くなられた方々に感謝と哀悼の意を捧げ、平和を祈った。
「靖国神社問題」はあるものの、「靖国で会おう」を合言葉に日本とそこに住む人たちを守った大多数の英霊に対して感謝と哀悼を捧げることに何を憚ることがあるだろうか。
彼らがいなければ今の日本、ひいては世界は無かったかもしれないし、自分も家族もこの世に生まれていなかったかもしれない。
戦争の主導者が合祀されていることへの批判は分かるが、祀られている御霊のうちの極わずかな主導者に対して称賛し、戦争を肯定するために参拝する者は皆無だと思う。
要は、「参拝する人が何を思い、何に対して祈るのか」が重要なのではないだろうか。
システム化された御朱印授与
本殿で参拝した後、御朱印を頂こうとキョロキョロすると、「朱印待合所」の案内が目に飛び込んできた。
待合所がある神社は流石に初めてで驚く。
受付で御朱印帳を渡すと番号札を受け取り、御朱印が出来たらマイクで番号を呼ばれるシステムにもビックリ。
受付の奥では何人もの人が御朱印をしたためていて、東京の有名な神社はやっぱり違うなぁと思ったのだった。
御朱印受付システムのおかげで、待っている人数の割にはものの数分で自分の番号が呼ばれた。
東京の御朱印第一号を御朱印帳に納める事ができた。
東京にも有名な寺社仏閣は多数あるので、東京を訪れる機会を見つけてはいろいろと参拝したい。
遊就館と神池庭園
遊就館は残念ながら閉館してしまっていたが、遊就館の外にも銅像や展示品が数多くあり、有意義な時間を過ごす事ができた。
自分自身は戦争の体験は無いが、祖母から戦争の恐ろしさを常々聞いてきた。
そういった口伝とともに実際に戦争の遺物に触れることで、戦争の恐ろしさについての理解を一層深めることが出来るのではないかと思う。
今度訪れるときには子どもも連れて遊就館の中を観覧し、戦争の恐ろしさを伝承していければと思う。
奥にある神池庭園でも桜が咲いており、池や木々の緑とのコントラストがとても美しかった。
ここまで訪れる人はそれほど多くなく、一の鳥居付近の喧騒もここまでは届かないようで、とても静かな空間だった。
世界がこの庭園のように美しく静謐であるようにと願いつつ、靖国神社を後にした。
ホテルへの帰り道に立ち寄った「市谷亀岡八幡宮」の記事はこちら